2012年7月9日

地域風土に合った提案で、存在意義のある工務店に。

次世代を担う、経営者の挑戦!<2>

有限会社島津組は島津専務(※2015年11月現在 社長就任)の祖父が左官業から始め、昭和40年創業、昭和62年に法人設立、現在では個人・店舗の新築からリフォーム、エクステリア事業などを幅広く手掛ける総合建設業へと成長した。20年ほど前から一般顧客向けの新築・リフォームを手掛けるようになった同社であるが、徹底的なアフターフォローを行い、古民家が多くてリフォームが難しい地域の中で確実に受注を伸ばしている。前職は銀行員だったという島津専務。「融資も人に感謝される仕事だが、一生に一度の一番高い買物をお客様に提供し、感謝いただく住宅会社もやりがいのある仕事」と語る島津専務にインタビューした。

<有限会社島津組(鳥取県米子市)>
http://www.shimazugumi.com/

<リノベーションモデルハウス 新築二世プレミアム「中島の家」>
http://www.shimazugumi.com/nakashima/index.html

入社のきっかけ…30歳を迎えた時に「勝負するならこのタイミング」と一念発起

ESTINA米子(有限会社島津組)専務取締役 島津志朗(しまづしろう)氏

ESTINA米子 有限会社島津組
専務取締役 島津志朗(しまづしろう)
(※2015年11月現在 社長就任)

――専務は、島津組に入社される前は、銀行員だったと伺いました。どのような心境の変化で、家業を継がれようと思われましたか?

島津:東京で法律系の大学を卒業し、米子で就職したいと地元の金融機関で働きだしたのが、平成3年のこと。銀行では融資などを担当し、様々な経験をさせてもらいました。融資というのは、お金を出すだけでなく取立てもします。行員というとデスクワークでクリーンなイメージがありますが、そればかりというわけでもありません。頭脳を駆使して多額の融資を貸し付けるテクニックなんかもあったりして。こうした業務をこなしていく中、このまま順調にいけば支店長、部長、取締役クラスと出世していく道筋が見えた頃、ふと実家のことが頭をよぎったのです。
当時、私は島津組の担当だったこともあり、いつまで順風満帆で経営できるのかな?と心配する気持ちは常に持っていました。住宅業界はいつだめになるか分からない不安定な仕事。さらに、後継者がいないと銀行は融資を行いません。少し先をみれば、続けるのか、廃業するのかの決断を迫られていました。
その時、直感で勝負するなら30歳の今だなと感じたのです。一緒に仕事をしたいと申し出た時、父親は何もいいませんでしたが、内心喜んでくれていたと思います。

――銀行と工務店、仕事のやりがいに違いはありますか?

島津:銀行は頭を使って融資しても、お金が動くだけです。しかし、住宅はとてもクリエイティブな仕事。感動を与えて心を動かすことができる、素晴らしい仕事だと思います。もうひとつ思ったのは、銀行に就職すると「いい所に就職したわね~」と言われます。しかし「建築会社に入っても「いい所に就職したわね」とは言われないじゃないですか。五感を使ってお客様にご提案をして、一生に一番高い買物をお客様にさせるのです。この業界こそ、もっと尊敬されたり、光があたるべきだと思うのです。島津組に携わる人々が、自信とプライドと同じ価値観をもって、一緒に業界の地位を上げていけるといいですね。

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